2012年2月25日
嵯峨塩鉱泉
今回は家来の趣味でちょっとマニアックな旅になります。このところはまっているつげ義春の『貧困旅行記』に触発され山梨の嵯峨塩鉱泉、日原鍾乳洞に向かいます。実はこれまで厚木の別所鉱泉行とか上野原の秋山村行があったのですが私の出番が少ないのでブログ記事にはしませんでした。今回の旅は私の登場が一応あるので記事にしますが、ちょっと家来の趣味に傾いてしまったところはご容赦ください。最初は嵯峨塩鉱泉に向かうべく山梨県にきました。ここは少し寄り道した道の駅甲斐大和です。
嵯峨塩鉱泉には甲斐大和駅あたりから県道218号線に入りずっと山を登った先にあります。(甲斐大和駅はつげの執筆当時は初鹿野という駅名でした。)この道の横には日川という川が並走しています。すでにかなりの標高。私は助手席のスペシャルシートで英気を養っている最中です。
天目山栖雲寺。武田家にゆかりの深い寺です。ここは通りすぎるだけ。
かなり山を登ったところに嵯峨塩鉱泉はあります。ここが入り口。日帰り入浴時間にはかなり時間があったので、残念ですがスルーすることにしました。
嵯峨塩鉱泉の嵯峨塩館の建物を確認し、ひとまず満足。さらに先に進むことにしました。
雪道をどんどん進んでいくと冬季通行止の看板。もはやここまで。Uターンすることにします。
途中にあったペンションからワンちゃんが。呼び込みかな。今日はやめとくね。
帰りは栖雲寺に寄りました。『貧困旅行記』にも味わい深く描写されているお寺です。
この鐘についてもつげ義春は・・・。執筆当時から年月が流れています。
ここにあるのは武田信満の墓です。武田家終焉の地はさらに下流の景徳院にあります。
嵯峨塩鉱泉には入れませんでしたが途中にあった「やまと天目山温泉」という日帰り温泉に家来は入ってきました。
ここが勝頼が自刃した武田家終焉の地にたつ景徳院というお寺。駐車場で一休みはしたものの中には入りませんでした。
丹波山村
天目山を後にし、勝沼ぶどう郷を経由し国道411号線に入りつぎの目的地を目指します。『貧困旅行記』にある日原鍾乳洞です。大菩薩嶺を横に見ながら進み、この道の最高地点柳沢峠に差し掛かりました。
柳沢峠で小休止した後さらに進むと東京の奥多摩に隣接する丹波山村(たばやまむら)に出ます。ここで少し足を止めることにしました。日帰り温泉がありましたが、入るのは次の機会にと家来。
私も気分転換のため少し散歩しました。
日原鍾乳洞
国道411号線をさらに進むと東京都の奥多摩に入ります。ここからは青梅街道と呼んだ方がしっくりきますね。JR青梅線の奥多摩駅手前で左折し北に入った道が日原街道です。崖沿いに延々と続く細い道。スリリングなドライブになりました。日原(にっぱら)は急峻な斜面にへばりついたような村落です。『貧困旅行記』でも面白く描写されていました。日原の中心部を抜け、さらに進むと鍾乳洞に続く道につきます。
日原鍾乳洞の手前につきました。「落石注意」の看板がありますが、入り口に続く道の上には大きな石がゴロゴロころがっていました。石をよけながら進みます。
車を川沿いの崖にある駐車場に止め、家来は鍾乳洞見学に。私は車の中でお留守番です。下の方に見える川の向こうの看板のところが鍾乳洞の入り口です。
鍾乳洞の由来が書かれた看板。日原鍾乳洞は自然の生み出した神秘の地であるだけでなく、山岳信仰の歴史のあるところで、これも『貧困旅行記』に詳述されています。中の写真は暗くてよく見えないので掲載しませんが。いちばん奥の方には高いステージを備えた巨大な空間があり、冒険映画のクライマックスにじゃーんと現れるシーンに遭遇したようなゾクゾクする感動があったと家来が言っていました。
鍾乳洞を出たところで私の待っている駐車場方面を見た光景。
待っている間、私は眠っていました。
家来の鍾乳洞見学が終わったので私もあたりを散歩することにします。
日原鍾乳洞の言われを知ったせいか荒涼と感じられる山々に囲まれた秘境の地の散策をしばし楽しみました。そのあと日原の集落を少しめぐった後、帰路につきました。